今日は昭和の日。様々ことがあった「昭和」ですが、30年代頃から公害が大きな社会問題となり、42年には公害対策基本法が施行されました。46年には環境庁が設置され、52年には環境保全長期計画が策定されました。環境という観点からみれば、「昭和」は、公害問題が深刻化し、その解決が本格化した時代と言えるかも知れません。
さて、本校がある尼崎市の中央部には、「昭和」という時代を象徴するような川が流れています。庄下川という1級河川で、下流には尼崎城跡があり、江戸時代には城の外堀の役割も果たしていました。清澄で水泳もできた川でしたが、大正期以降、製紙工場や染料工場の排水などが原因となり、水質が極度に悪化しました。また、地盤沈下で下流域が海抜ゼロメートル地帯となり、自然流化できなくなったことも、汚染に拍車をかけました。
行政も浄化に取り組みましたが、なかなか捗りませんでした。同様の現象は尼崎市内の他の河川でも起こり、源義経ゆかりの地でもある大物川は、ゴミ溜め同然となり、昭和40年代には廃川となってしまったほどです。
しかしながら、下水道整備や川泥浚渫などの粘り強い対策が徐々に効果を上げ、昭和40年代後半から庄下川の水質は改善されていきました。
昭和63年には建設省による「ふるさとの川モデル河川」の指定を受けて整備工事が進められ、水質は更に改善されました。そして、平成12年には、国土交通省による「甦る水100選」にも選ばれるまでに環境は回復されました。今も、ふるさとの川として尼崎市民による河川愛護活動などが行なわれています。
今日は昭和の日。昭和から平成。環境破壊から環境再生。時代を象徴するような「庄下川」を紹介しました。